ブラックバスの切り身
ブラックバスの切り身


食べない魚は釣らないという人


先日、川でナマズ釣りをしていると、若い男性に声をかけられました。釣り場を探しているとのことでしたが、その時の会話で
食べない魚を釣ってもしかたないですよ」
という言葉を聞かされました。これまで何度か同じようなことを耳にしましたが、本当にそうなのでしょうか?

なぜ、食べない魚を釣ってもしかたないと思うのか。その背景には次のような理由があると想像します。

  1. 食べるという大義があってはじめて、魚を釣る(傷つける・殺す)ことが許されると思っている。
  2. 釣り上げた魚を食べることまで含めて、釣りという遊びだと思っている。

先ず1. ですが、はっきり言います。このような考え方はまちがいです。

食べることは殺しの免罪符ではない


宇宙人が宇宙船に乗って地球へやって来て、あなたを光線銃で撃ち殺したとします。そして、あなたの死体を料理して食べました。それを見ていた人が、
「人殺しとは、ひどいじゃないか」
と宇宙人たちを非難しました。

宇宙人はこう反論しました。
「いや、食べるために殺したんだ」
しかし、宇宙船の格納庫には食糧がぎっしり詰まっていました

殺されたあなたは(そうか、食べるためだったのか。じゃあ、しかたないな)と納得できるでしょうか?できないですよね。漁師でもない現代の日本人が魚を釣って食べるのは、そういうことです。

一般人の釣りは遊び


漁業者ではない私たちの釣りは、「遊漁(ゆうぎょ)」すなわち「遊び」であると、法的にはっきり定義されています。この魚を殺して食べなければ、自分が死ぬ。そうした営みではありません。ライオンがシマウマを襲うのとはわけが違います。どこまでいっても、お遊びなのです。

遊びで魚を傷つけ、時に殺すことが許されるのか。そこは、人によって判断が異なるでしょう。いずれにせよ、魚を食べることで釣りが遊びではなくなったり、殺生の罪が許されることはありません。

食べることも含めて遊びが完成するという考え方も


では、2. のような考えはどうでしょうか。これなら、まあ妥当でしょう。食う食われるの命の連鎖から切り離された現代人が、釣りという手段を通じてそれを疑似体験したいと思っても、何も不思議はありません。

また、魚を上手に殺し、解体し、調理することは、魚を上手に釣り上げるのと同じように、私たちを少しだけ無力感から解放してくれます。だから、魚を食べなければ自分の釣りは完結しないのだ。という意見は、わかります。

ただ、その場合は、毒があるわけでもない魚を、海の魚ではないとか、現代ではあまり食べられていないという理由だけで無闇に「食べられない魚」「食べない釣り」と決めつけないでほしいとは思います。

釣りをするのは、釣りが楽しいから


なぜ、私たちは釣り人は、魚を魚屋で買わず、また網で捕るのでもなく、糸と竿を使って釣りをするのか。それが楽しいから以外に理由はありません。

魚をだまして針に掛け、細い糸1本でたくみに抵抗を押さえこみ、ついには彼らの領分である水中から、こちらの領分である空気中へ引きずり出してしまう。この行為が、何とも刺激的で興奮するのです。

10万年前からほとんど進化していない、魚が釣れても釣れなくても自宅の冷蔵庫には今日のご飯が入っているとは夢にも思わない私たちの脳が、生き残りをかけた闘争に勝利したものと勘違いし、いい気分になる脳内物質をドバドバ出すのです(魚を逃がしてしまった場合は逆の結果が待っています)。

釣った魚を食べるのは「ついで」


釣った魚をどうするかは、ついでの話にすぎません。食べない魚を釣るのが無意味だなんてことは決してないし、逆に、キャッチ・アンド・リリースの釣りが、クーラーボックス持参のそれに比べて上等だ、なんてこともないのです。

結論:食べない魚を釣ることにも意味がある